162センチ、体重49キロの小さな体で、500キロ近くある馬を巧みに操る。
主戦場は、コースに設置された障害物を跳び越えながら速さを競う「障害競走」。高さ約1・5メートルもある
生け垣や竹柵を時速約50キロで走りながら跳び越える。騎手の落馬が絶えず、出走馬の半分がゴール
できないこともある。自ら落馬することもあるが「怖がったら馬にも伝わる」とレースでは強気を貫く。
調教は長い時は1カ月かかる。初めから言うことを聞く馬はいない。跳ぶのが嫌な馬は障害物の前で止まって
しまう。「ムチでたたいて跳ばせることもできるけど、信頼関係は築けない」。木の枝1本から始め、うまく跳べると
首筋をなでて褒めてあげる。そうやって距離を縮めていく。
乗馬クラブを運営していた叔父の影響で、幼い頃から馬に親しんだ。中1の頃、高校に進学せず千葉県
白井市のJRA競馬学校に進むことを決意。約250人が受験し合格者は10人前後と狭き門。1回目の受験で
難関を突破したが、厳しい寮生活が待っていた。
携帯電話の使用が制限され、テレビゲームもできない。1週間に摂取できるのは900キロカロリーと、ポテト
チップス2袋分にも満たない。毎日午前5時に起床。厩舎(きゅうしゃ)の掃除に始まり、午前中は乗馬、午後は
座学と、遊ぶ暇は全くない。それでも嫌になったことはない。「何より馬に乗るのが楽しかった」。半分ほどの
仲間が途中で辞める中、3年で卒業し18歳でプロになった。
特定の厩舎に所属していないため、騎乗のオファーを得るには結果を出し続けなければならない。馬主に自らを
売り込む「営業」も必要だ。レースでは、先輩騎手から「前を譲れ」とささやかれることもあるが絶対に譲らない。
「ジョッキーは勝ってなんぼの世界。勝てなきゃ辞める」。厳しい世界を生き抜く覚悟を決めている。
■略歴
◇くさの・たろう
競馬騎手。稲敷市出身。JRA競馬学校騎手課程23期生。07年3月にデビュー、同年5月13日に初勝利。
通算20勝。
http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20130110ddlk08040094000c.html
インタビュアー:では好きな女の子のタイプはどんな子が好きですか?
草野:可愛い子。
大江原:太郎ちゃんは本当はアレだろ~?(笑)
草野:何だよ?
大江原:「ロリカワ」。しかもただ若いだけじゃダメなんだよね?
草野:(笑)そうだよ可愛くなきゃ。俺はストレートにロリコンだ!
大江原:ハハハ(笑)僕は宮崎あおいさんみたいな森ガールが好き!
インタビュアー:なぜ騎手になったのですか?
草野:馬が好きだから!でも競馬学校の面接ではそれだけの理由じゃダメって言われました・・
大江原:僕は流れ的な感じでなってました(笑)
草野:それ騎手目指してる人が聞いたらヒンシュクかうぞー!
インタビュアー:では騎手じゃなかったら何になりたかったですか?
草野:獣医さんかな。動物に関わる仕事がいいですね。
大江原:ネオニート。嘘です。多分厩務員さんになってたと思います。
高校生が長期間にわたって7日でカロリーメイト1箱分程度しか食えないってもうね。
競馬とか競艇はおかしな業界だよ
ググってみたら、「1日3食の合計カロリーは2100キロカロリーなので、1食700カロリーを目安に、
1週間でトータル31500カロリーにするようにしています。」
なんだって。 そうじゃないと挫折者だらけだよな
今は外国人や地方騎手というハングリー精神の塊のような
奴らがいる時代だから、強い心を持っていないとあっという間に仕事がなくなる
凄腕のブローカーと契約できればいいな
今は障害の騎手が絶対的に足りないから生き残れるだろうけど
美談じゃねーよこれ
飯もほとんど食えないぐらい体重管理してるのに、
夜にバリバリお菓子食ってたのは不思議だった。
藤田なんて毎日タバコ吸ってたらしいぞ
昔は禁止だったがあまりにも菓子を食べる為に脱走が多かったからOKに
なったらしいよ。あの年代でお菓子を食べれないというのは相当ストレス
なんだろうな
その後も騎乗数には恵まれず、関東のファンすらその名を知らず
・・・絵に描いたような美浦の若手下位騎手だな(´・ω・`)
国分片割れだって国枝厩舎にいた頃はろくに乗れなかったけど、
関西行ったら成績伸びまくったしな
浜中なんてもし関東所属だったらと思うとゾッとするだろうな
絶対あんなにチャンスもらえてないし
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